| profil de "Kaii Goromaru" | |
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| 本名 | 五郎丸 塊維 |
| 出身 | 福岡市 |
| 生年月日 | 1971.8.31 |
| 血液型 | AB型 |
| 星座 | 乙女座 |
| 好きな画家 | ゴッホ セザンヌ・ドガ ゴーギャン・モネ ホイッスラー・クリムト ミュシャ・ロートレック 佐伯祐三・藤島武二 マティス・ピカソ ルノアール 他多数 |
| 想い出の一冊 | 『ニュルンベルクのストーブ』 ウィーダ著 |
| 心に残る曲 | 『imagine』 John Lennon 『PARLE-MOI』 isabelle boulay 『No One Is to Blame』 Howard Jones 『I Need You Tonight』 backstreet boys 『Jupiter』 平原綾香 |
| 愛着のある曲 | 『Happy Xmas(War Is Over)』 John Lennon 『Early Christmas Morning』 Cyndi Lauper 『BLUE EYES BLUE』 ERIC CLAPTON |
| 好物 | カレー・PIZZA・大豆食品 珈琲・牛乳 伊ワイン・黒BEER・古酒 猫・猫っぽい人 夏の水面・冬の夕空 月あかり・火星・金星 さくら・向日葵・薔薇 四葉・仙人掌 オレンジ色・飴色 他多数 |
| 嫌物 | 嘘・偏見・無視 コンクール アクリル絵具 意味の無い殺生 |
| 好きな言葉 | 『星月夜』 『また明日』 |
| 嫌いな言葉 | 『永遠』 『別れ』 |
| 長所 | 対象を大事にすること チャレンジ精神旺盛 割と器用 |
| 短所 | チャレンジ精神旺盛 場合により不器用 |
| 幼少時代の夢 | 旅客機の機長になること |
| 特技 | 四葉さがし 人相占い |
| 人生のこだわり | 今できることを 今やること、 何が待ち受けていても 決して後悔をしないこと |
| 恩師 | 名作および駄作 |
| 願い事が ひとつだけ 叶うなら |
万人に平等な好機を |
| 無人島に ひとつだけ 持ってゆくなら |
ナイフ |
| 座右の銘 | 『さ』 |
| Kaii Goromaru "OiTAChi" | |
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| '71.8.31 福岡市に生まれる。25歳のとき、母の千恵子から贈られた画材セットがきっかけで絵を始める。 数々の油彩画を制作し、父親である五郎丸清春(日展系示現会会員)に指導を仰ぐ。 地道な創作活動を続ける中、会社勤めとの両立に限界を感じ、'99.7、当時勤めていた会社を退職する。 生徒を指導する道を拒む一方、日本での制作過程で自己のカンヴァスに滲み出る『色』に疑問を憶え、2000.4.1 渡仏、パリに移り住む。 2ヶ月間の語学学校を経て、かつて佐伯祐三も通った『アカデミー・ドゥ・ラ・グランド・ショミエール自由科』に入校、同校へ3ヶ月間通った後、同年9月に 通学を修了し独立、プロの世界へ参入する。 10月・11月で83枚の油彩画を制作し、12月にギャラリーへの売り込みを開始、パリ6区、国立美術大学そばの『GALERIE ETIENNE DE CAUSANS』及び、パリ4区、ポンピドーセンターそばの『GALERIE YVES FAY』の両オーナーの目に止まり、2001.1に1週間、2月に4週間の個展開催を認められる。 さらに同年3月、『パリ三越』にて計4名のグループ展に参加、その後、ゴッホやセザンヌなどの印象派の足取りをたどり、イタリア及び南仏を写生旅行、2001.4.24に帰国する。 帰国後8月、故郷・福岡市の『ギャラリーだいせん』をかわきりに、11月に『COFFEE & REST 道しるべ(大分県宇佐市)』、12月に『ギャラリー銀座(東京都中央区)』、2002.1に『道の駅・小国 ゆうステーション(熊本県阿蘇郡)』にて渡仏帰国展を開催、その夏季には和服をテーマにした大作を携え、広島・大阪・佐世保をまたぐ巡回展示会を行う。 そして同年初秋、大阪市内へと本拠地を移し、京都・賀茂川などを中心に、異国文化の融合性を念頭に置いた創作活動を続ける。 1年と5ヶ月におよぶ長い沈黙を経て、2004.1に『GALLERYさくら(東広島市西条町 さくらや西条駅前本店2F)』にて、自己の絵画人生を『道』になぞらえた作品展を開催する。 同年中旬頃からは木版画制作にも取組み、創作の幅を広げながら、観点の多様性を模索する。 2006.7に、大分県豊後高田市西真玉の山あいにある宿泊施設『VILLA FLORESTA(ヴィラ・フロレスタ)』へ移り住み、風景写真等を撮りながら、くにさき半島をPRする業務へと加わる。 2007.1、VILLA FLORESTAでの半年間の活動も任期を満了し、移転。瀬戸内の潮の香り漂う、東広島市は『大芝島』を活動の中心地と選び、再び画業に専念する。 |
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